2011.10.02更新
快晴とは言えませんが、そこそこの天気の中、だんじり祭りが行われました。もっと晴れていたら、やり回しも、岸和田のだんじりに負けぬほど、スピード感があったかも・・・
2011.09.30更新
何時からかハッキリとは覚えていませんが、たけとし歯科医院の案内用看板の電気が二つともつかなくなって久しいと思います。この夏前から私も気が付いていたのですが、夏場の節電が叫ばれていましたし、夏は日が落ちるのも遅く、PM 7 時半になっても、まだ明るい状態でしたので、不精にかまけて放置していました。
最近、さすがに日が暮れるのが早くなり、PM 6 時になると暗くなりますから、患者様のご迷惑になるので、看板屋さんに連絡をとり、今日見てもらいました。二つともつかないので配線が切れているのかと思いきや、タイマ-が壊れているとの事・・・。タイマ-の交換を頼みました。玄関が暗いと寂しく感じられますので、看板も、世の中も明るいにこしたことはないですネ。急いで直しますのでよろしくお願い致します。
2011.09.28更新
歯科医院で患者さまの治療に際し、虫歯を削った後、その部分は、きちんと噛めるようにしっかりとした詰め物をしておかねばなりません。乳歯や、大人の方の永久歯でもあまり噛む力が強くかからない前歯などでは、保険治療では、(俗な言い方をすれば) 白いプラスチックのような材料を詰める事が多いです。
しかし、人は硬い物を食べる時は奥歯で徹底的にすり潰して小さくしてからゴックンしますしので、噛む力 ( 咬合力 ) が奥歯には強くかかります。保険治療で認められているプラスチックでは、その力に耐え切れず破折してしまい、その部分から又、二次的に虫歯が発生する事もございます。
そうした事態を避けるために、奥歯にできた大きな虫歯・深い虫歯では、保険治療では「金銀パラジウム合金」という、厚生省が決めた金属を詰める事になっているのですが、ここ数年、金や銀・パラジウムなど色々な金属の値段が高騰し、歯科用金属も、厚生省が保険診療で患者さまに治療代としてお支払いただくように決めている、その金属の詰め物代 ( 保険点数 ) も値段を上げざるを得ない状況となっているようです。この10月1日から、その歯科用金属に関わる治療費が若干上がるようですが、患者さまのご理解とご協力をお願いするところでございます。よろしくお願い申し上げます。
2011.09.23更新
たけとし歯科医院のこのホ-ムペ-ジを開設するにあたってお世話になった、担当者の藤井さんがこの週末をもって、他業種の営業部門にトラバ-ユするとの事で、ありがとうとお礼するとともに、今後の成功をお祈り申し上げます。半年のお付き合いでありましたが、ホ-ムペ-ジを作れたことを感謝しています。
2011.09.23更新
この連休に長野県と山梨県の県境に位置する甲斐駒ケ岳 (標高2967m) に登って来ました。台風15号が紀伊半島に、16号が関東地方に接近し、本州に上陸しそうな状況下での登山は危険も予想されたので迷いましたが、当地への交通手段を既に予約していたので、とりあえずは当地まで行って登山可能か否か判断しようと思いました。
北沢峠で南アルプス林道バスを下車し北沢駒仙小屋に到着時は小雨が降りぐずついた天気でしたが、その時点まではあまり降っておらず、山もさほどぬかるんでいない状態でしたので、登り始めたところ、結構山の天気は良かったです。
歩き出してから2時間ほどは一度も人と出会うことも無く、私の単独行で、自然を独り占め!状態にリッチな気分を味わいました。その時に登りだした人たちは仙水峠経由で登った方々が多かったのでしょう。双児山山頂に着くと、行く手の駒ヶ岳の姿を確認でき、後ろを振り返ると仙丈ヶ岳の美しい山容も満喫できました。いったん下り、駒津峰まで登り返すと、そこで人だかり。正面に、8合目から頂上までは白い花崗岩で被われたピラミダルな甲斐駒ケ岳がドンと大きな姿で鎮座していました。あんな岩場を私は登り切れるのかしら?!とここにきて不安になりました。ここからがこの山登りのしんどさの始まりです。
岩場では腰をかがめ、基本の三点保持を心掛け進みました。大きな岩の六方岩を過ぎた所で、直登コ-スと巻道コ-スの分岐の標識が出てきました。私は何も考えずに、直登コ-スの方が時間が短縮されるだろうぐらいの軽い気持ちで直登コ-スに突き進みましたが、身長 174.5m ・体重 65kg の私が右手・左足を精一杯伸ばしても、つま先が引っ掛かるステップもない程の大きな平らな垂直の岩にも遭遇し、両手のつま先だけで体を引きずり挙げるスリルを味わいました。手足の長い今どきの若者を羨ましく思いました。後から3冊ほど登山ガイドを確認すると、どの本もその分岐は直登コ-スは避けて巻道に入るとありました。でもかなりスリリングでしたが、岩を登り切った後、後ろを振り返ると、自分が登ってきた岩場が誇らしく感じられました。
登り始めてから4時間10分ほどで頂上に着きました。山小屋で声をかけてくださった千葉から車で来たという40歳台と思しき男性も直後に登りつき、互いに写真を撮り合って、私は40分ほど頂上からの眺めを楽しみ下山しました。富士山も大きく、くっきりと見えましたョ。下りは無論、巻道コースを降りました。下山も直登コ-スでという猛者はほとんどいないようです。駒津峰まで戻り南にコ-スをとって、仙水峠を経て、北沢峠に戻りました。このコ-スは山すその、水辺を下るル-トで仙水小屋まではゴツゴツした小岩の上をを歩くので歩きずらかったです。このル-トから登るのも大変だなぁと思いました。
結局、終日、天気は快晴で甲斐駒ケ岳登山をエンジョイできました。頑張ってここまで来た甲斐がありました。下山後はかなり汗臭かったので、林道バス営業所に隣接する仙流荘で温泉につかり、着替えてJRに乗車して帰宅しました。ただ、一つの心残りは19日に予定していた仙丈ヶ岳登山を断念したことです。いつか必ず仙丈ヶ岳にはチャレンジしたいです。
2011.09.05更新
昨日から今朝にかけて甚大な被害が明らかになってきました。とくに奈良県十津川村・天川村、三重県紀宝町など紀伊半島での被害が大きいようです。上北山村でのここ数日の降雨量は約1800mmで、東京都に降る年間降水量の1.2 倍の雨が一度に降った計算になるとニュ-スで報告されていました。台風の進路に、より近かった大阪や堺はそこまでの降雨はなかったのでなぜ?と不思議に思う方も多いのではないでしょうか。
私はここ一年間、大峰奥駈道沿いの山々を訪れていますので、天川村や上北山村へは何度も行き来しました。紀伊山脈の山々とそこに源を発する川や支流が深く、静かにどっしりと横たわっているという印象でした。しかし、一度自然が暴れると、川は氾濫し、山は崩れるという事を誰が予想できたでしょうか?!
濁流に流され行方不明になっておられる方々の安否が気になります。今の私たちには、無事を祈るのみです。
2011.08.22更新
8月7日(日) の釈迦が岳登山の後、5~6日してから右膝内側が結構痛み出し、今日までずっと湿布薬を張り続けている状況です。少しびっこを引いて歩いており、ここまで痛めてしまったか?!と焦っています。
と言いますのも9月18・19日の連休に甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳登山を予定しており、それまでに治るのか心配しています。日頃履いている運動靴ではなく、お盆休みに2日間ほど紳士靴(革靴)を履いたが為か痛みが一時強くなりました。私の歩き方に問題があるのかと考えてしまいます。
足を休ませる為、家で読書三昧という訳でもありませんが先日、上田秀人氏の「奥右筆秘帳 刃傷」が書店で目にとまり、この時代小説シリ-ズの新作をチェックしていた私はすぐにこの単行本を買いました。上田秀人氏は私の大学の一年先輩で歯科医です。大学三~四年生の頃には毎日といってよいほど学友会室でお顔を拝見しておりました。
その上田氏の小説を読みだしたのは、三年前に亡くなった父親を新宮市の病院に見舞いに行くJR和歌山本線の特急の車内でです。天王寺~新宮間は特急でも四時間以上かかり、時間つぶしに何ぞないかしらと天王寺駅舎内の本屋に入った時に目にしたのが初めてでした。それ以来本屋に入った時は時代小説のコ-ナ-に上田氏の新作が出ていないかチェックするようになりなした。他の方の時代小説は読んだことはありません。上田氏の小説を読んでいると父親の最後の闘病生活を思い出す時があります。これからもいろいろなシリ-ズを書き上げていただきたいと存じます。
2011.08.09更新
8月7日(日) の登山の疲労が次の日ではなく翌々日に出てくるというのも若くないって証拠?今朝は起きるのが少々辛かったです。
一日で3kg も体重が減ったのは脱水によるだけで、夏に血液ドロドロ状態で血栓がつまり心不全や脳梗塞が出やすいという記事を読んだのは、先日のサッカ-元日本代表選手 (34) が急死された時です。昨日から今日にかけて意識的に水分補給に努めています。何でも体重が減れば良いという問題でもないですよネ!
あの登山で思い出す事がもう一つあります。疲れ果ててやっと下山できたとホット息をついたらそこに警察官が二名・・・。
この登山口に降りてくる人たちに、山で 69 歳の単独登山されている男性と遭わなかったか聞いているとの事。その方は一昨日から弥山に登られその夜は弥山でテントに泊まったか小屋泊まりだったか、そこを出るところまでは確認されたらしいですが、以後、私が登った釈迦が岳へ縦走し昨夕にはこの下山口に還ってくる予定だったが今だ連絡がないとのこと。
今日中に連絡がなければ明朝から捜索隊を入山させねば・・・との声が挙がっていました。ただし一人の小太りの警官の方は、「僕はここから入るなと言われている」と冗談でおっしゃっていました。この前鬼からの登山はきついから僕には無理だとも言われた。体力が消耗している時には判断ミスも起きやすく、道に迷われたのかも知れません。その方の無事を念じてやみません。
2011.08.08更新
51 歳になった記念に奈良県の釈迦が岳に登って来ました。
AM 6:30 から 前鬼方面から登り出し PM 12:05 に頂上に着きましたが、山中での湿度がものすごく高く、大汗をかき、かなりバテました。
前夜寝る直前に裸で体重計にのったら 66 kg で、登山から帰ってすぐにスッポンポンになり体重をはかったところ 62.5 kg でした。
登山中は脱水症状にならぬよう気をつけ、持参したペットボトルのお茶や水を( 500 ml x 5 本分 ) こまめに飲んでいましたが着ていた上着もジ-パンも下着も全て汗でぐしょぐしょで気持ち悪かったです。
着替えはリュックに持参して行ったのですが、着替える余裕もなく PM 3:40 に登山口の駐車場に戻ってきてから車の陰に隠れて全て着替えました。
持参したおにぎり 3 個とカロリ-メイト 100 kcal スティク x 2 本分 も口にしましたが、体重の変化と飲んだ水分量から単純に考えると6L 分の水が体から発汗されたということでしょうか?!
今日は ト-タル9 時間ほど歩きましたが頂上はガスがかかっていて頂上からの視界は全くききませんでした。
頂上に建てられているブロンズ製のお釈迦様立像に手を合わせてすぐに下山。
下山時、何度か石の上に載って滑りスッテンころりとしりもちをついたり、木の根に足をとられ膝からこけましたが登りに比べてすごく楽でした。
明日以降、筋肉痛がどれ程でるか心配です。
2011.08.06更新
今日で院長51歳。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしなりや」
と、織田信長が好んで舞った敦盛の舞いは、歴史にうとい私でも知っています。
信長が本能寺で明智光秀に奇襲され敦盛の舞いを舞って亡くなったのが四十九歳だったと思います。
幼少の頃から偉人伝を読み漁っていた私は、敦盛という人物を知らないままに(平敦盛でしょうか?子供用に清盛の伝記は出てても敦盛までは・・・) 「人間五十年・・・」と生意気にもよく口にしていました。
しかるに48, 49 歳と 平々凡々に 過ぎてゆく自分に焦り、50 歳には何か記念にと思い立ったのが富士山登山でした。
48 歳後半から近くの葛城山や金剛山に登り出し、体重を11kg 減量し 50 歳の誕生日前に初心者向きの吉田口から日本一高いお山―富士山頂に立ちました。
歴史に名を残す事はできなくとも、何でも良いから「日本一」にこだわったんでしょうか? ( 人物が小さ過ぎる?!)
その後も奈良の大峰山系の山上ヶ岳・稲村ヶ岳・大普賢岳・行者還岳・弥山・八経ヶ岳とこの一年で日帰りで登ってきたわけですが、とうとう、51 歳となりにけり・・・。
私にとってのこだわりの50 歳はいつの間にか過ぎ去っていました。
でも生活習慣病予防の為に引き続き日帰り登山は頑張ろうかなと思っています。
この日曜日は釈迦ヶ岳にと予定を立てているのですが、天気はいかがでしょうか・・・。