院長ブログ

2011.08.22更新

8月7日(日) の釈迦が岳登山の後、5~6日してから右膝内側が結構痛み出し、今日までずっと湿布薬を張り続けている状況です。少しびっこを引いて歩いており、ここまで痛めてしまったか?!と焦っています。
と言いますのも9月18・19日の連休に甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳登山を予定しており、それまでに治るのか心配しています。日頃履いている運動靴ではなく、お盆休みに2日間ほど紳士靴(革靴)を履いたが為か痛みが一時強くなりました。私の歩き方に問題があるのかと考えてしまいます。

足を休ませる為、家で読書三昧という訳でもありませんが先日、上田秀人氏の「奥右筆秘帳 刃傷」が書店で目にとまり、この時代小説シリ-ズの新作をチェックしていた私はすぐにこの単行本を買いました。上田秀人氏は私の大学の一年先輩で歯科医です。大学三~四年生の頃には毎日といってよいほど学友会室でお顔を拝見しておりました。

その上田氏の小説を読みだしたのは、三年前に亡くなった父親を新宮市の病院に見舞いに行くJR和歌山本線の特急の車内でです。天王寺~新宮間は特急でも四時間以上かかり、時間つぶしに何ぞないかしらと天王寺駅舎内の本屋に入った時に目にしたのが初めてでした。それ以来本屋に入った時は時代小説のコ-ナ-に上田氏の新作が出ていないかチェックするようになりなした。他の方の時代小説は読んだことはありません。上田氏の小説を読んでいると父親の最後の闘病生活を思い出す時があります。これからもいろいろなシリ-ズを書き上げていただきたいと存じます。

2011.08.09更新

8月7日(日) の登山の疲労が次の日ではなく翌々日に出てくるというのも若くないって証拠?今朝は起きるのが少々辛かったです。

一日で3kg も体重が減ったのは脱水によるだけで、夏に血液ドロドロ状態で血栓がつまり心不全や脳梗塞が出やすいという記事を読んだのは、先日のサッカ-元日本代表選手 (34) が急死された時です。昨日から今日にかけて意識的に水分補給に努めています。何でも体重が減れば良いという問題でもないですよネ!

あの登山で思い出す事がもう一つあります。疲れ果ててやっと下山できたとホット息をついたらそこに警察官が二名・・・。

この登山口に降りてくる人たちに、山で 69 歳の単独登山されている男性と遭わなかったか聞いているとの事。その方は一昨日から弥山に登られその夜は弥山でテントに泊まったか小屋泊まりだったか、そこを出るところまでは確認されたらしいですが、以後、私が登った釈迦が岳へ縦走し昨夕にはこの下山口に還ってくる予定だったが今だ連絡がないとのこと。

今日中に連絡がなければ明朝から捜索隊を入山させねば・・・との声が挙がっていました。ただし一人の小太りの警官の方は、「僕はここから入るなと言われている」と冗談でおっしゃっていました。この前鬼からの登山はきついから僕には無理だとも言われた。体力が消耗している時には判断ミスも起きやすく、道に迷われたのかも知れません。その方の無事を念じてやみません。

2011.08.08更新

51 歳になった記念に奈良県の釈迦が岳に登って来ました。

AM 6:30 から 前鬼方面から登り出し PM 12:05 に頂上に着きましたが、山中での湿度がものすごく高く、大汗をかき、かなりバテました。
前夜寝る直前に裸で体重計にのったら 66 kg で、登山から帰ってすぐにスッポンポンになり体重をはかったところ 62.5 kg でした。

登山中は脱水症状にならぬよう気をつけ、持参したペットボトルのお茶や水を( 500 ml x 5 本分 ) こまめに飲んでいましたが着ていた上着もジ-パンも下着も全て汗でぐしょぐしょで気持ち悪かったです。
着替えはリュックに持参して行ったのですが、着替える余裕もなく PM 3:40 に登山口の駐車場に戻ってきてから車の陰に隠れて全て着替えました。

持参したおにぎり 3 個とカロリ-メイト 100 kcal スティク x 2 本分 も口にしましたが、体重の変化と飲んだ水分量から単純に考えると6L 分の水が体から発汗されたということでしょうか?!
今日は ト-タル9 時間ほど歩きましたが頂上はガスがかかっていて頂上からの視界は全くききませんでした。

頂上に建てられているブロンズ製のお釈迦様立像に手を合わせてすぐに下山。
下山時、何度か石の上に載って滑りスッテンころりとしりもちをついたり、木の根に足をとられ膝からこけましたが登りに比べてすごく楽でした。

明日以降、筋肉痛がどれ程でるか心配です。

2011.08.06更新

今日で院長51歳。 

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしなりや」

と、織田信長が好んで舞った敦盛の舞いは、歴史にうとい私でも知っています。
信長が本能寺で明智光秀に奇襲され敦盛の舞いを舞って亡くなったのが四十九歳だったと思います。
幼少の頃から偉人伝を読み漁っていた私は、敦盛という人物を知らないままに(平敦盛でしょうか?子供用に清盛の伝記は出てても敦盛までは・・・) 「人間五十年・・・」と生意気にもよく口にしていました。

しかるに48, 49 歳と 平々凡々に 過ぎてゆく自分に焦り、50 歳には何か記念にと思い立ったのが富士山登山でした。

48 歳後半から近くの葛城山や金剛山に登り出し、体重を11kg 減量し 50 歳の誕生日前に初心者向きの吉田口から日本一高いお山―富士山頂に立ちました。
歴史に名を残す事はできなくとも、何でも良いから「日本一」にこだわったんでしょうか? ( 人物が小さ過ぎる?!) 
その後も奈良の大峰山系の山上ヶ岳・稲村ヶ岳・大普賢岳・行者還岳・弥山・八経ヶ岳とこの一年で日帰りで登ってきたわけですが、とうとう、51 歳となりにけり・・・。

私にとってのこだわりの50 歳はいつの間にか過ぎ去っていました。
でも生活習慣病予防の為に引き続き日帰り登山は頑張ろうかなと思っています。

この日曜日は釈迦ヶ岳にと予定を立てているのですが、天気はいかがでしょうか・・・。